『渋谷さん!』

木暮"shake"武彦 OFFICIAL SITE│COSMIC MATE

2025/08/03 20:00

フォロー

アランドロンや長嶋茂雄、ジェフベックとか、自分が子供の頃のスーパーマンが次々といなくなって。もう誰が死んでも当然のような気がしていたが、渋谷さんがいなくなってみると、改めて自分にとって大きな存在だったのだと気がついた。

ここのところ渋谷さんのラジオの録音が自分のyoutubeに入ってくるので毎日聴いている。
懐かしい声。

エレキギターを弾き始めて、洋楽ロックにどっぷり浸かり始めた頃ストーンズ、フロイドとか神々しいバンドがたくさんあった中で一番その中心にいたのはツェッペリンだった。

そのツェッペリンのライナーノートを全部書いていたのが渋谷さん。
名物ロック評論家は何人もいたが、NHKのラジオヤングジョッキーも毎回欠かさず聴いていたこともあって、ダントツの存在感だった。
この年までギターを弾いてロックをやっている自分にとって、たくさんの素晴らしい事を教えてもらった恩師といえる。

その頃から約10年後、REDでのデビューとロッキンオンジャパンの創刊が重なり、インタビューで初めて合えた時は嬉しかった。
渋谷さんも洋楽的なレッドの音を喜んでくれた気がした。

その後、2万字インタビューがあり、ホテルの部屋に閉じ込められて二人で長時間しゃべった。

初めての楽器は?から始まり、最初の渡米の話になり、「ここからは俺一人の事じゃないから話せない」と言ったら記事にするかしないかは後で決めれば良いから、とにかく話を聞かせて欲しいと言われて話し始めたら、自分も楽しくなって結構話してしまった。それで、これはすごく良い話だから絶対の載せたほうが良い。俺が責任を持つと押し切られた。
実際の本になったら俺がベラベラ話したように書いてあって、やられたと思ったし、結構批判もされた。

その後レッドの解散の時、もうできることはみんなやったしアメリカに行ってロックをやりたいと伝えて、自分に洋楽を教えてくれた人だから喜んでくれると思ったら、日本のロックを盛り上げないといけないと言われた。

そんなこと俺には関係ないし、「歌謡曲みたいなロックをやらない限りこれ以上売れることはない。俺はもっとスケールの大きなロックをやりたい」と言ったら「バラとワイン」はすごく大きな曲だよ。もっとやって欲しいと言ってくれた。

時が経って、レッドの再結成やソロアルバムの時に取材してくれた時は古いビルの薄汚れた事務所だったロッキンオンが新築の立派なビルになっていて「シャケ、どうだ? 日本のロックは繁栄してるんだぞ」と言った顔が嬉しそうだった。

好きなことだけをやっていたい自分とは平行線だったが、今ここ数年の渋谷さんのラジオを聴くとやっぱり70年洋楽ロックにこだわっていた。
社長から個人に戻ったのかもしれない。

とにかく日本の全てのロックファンは渋谷さんに感謝しなければいけない。
単に音楽を楽しむというということを超えて重要なことを教えてくれたと思う。

ありがとう渋谷さん!
たくさんの感謝を込めて。

青葉から送られてきた写真。
タイムズスクエアだと思うが、何かうれしいね。

この温度計、買って20年以上になると思うが、初めて日向に置いてみたら、1日で30度越え。
最高は40度。

3日間放置していたら最高50度超え?
そんな事?

カジノドライヴの頃の会報に書いた、頭の横にスピーカーを置くと最高という文章を覚えてる人はいるかな?
久しぶりにやったらやっぱり最高だった。朝は頭がクリアなので、最近早ければ毎朝6時過ぎから聴いている。
bluetoothでなんでも好きに聴けるし、作りかけのアルバムも毎朝聴いてアイデアをメモに打ち込んだ。
素晴らしく便利な時代。

ページを報告する

コピーしました

有料会員になるとオーナーが配信している有料会員限定のコンテンツを閲覧できるようになります。

木暮"shake"武彦 OFFICIAL SITE│COSMIC MATE ¥1,200 / 月

会員登録する

コピーしました